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◆イベント・個展にまつわる実況日記です。 更新中のカテゴリ=【2011年個展『epitaph-エピタフ-』】
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7月21日。実はこの日は、母親の命日なのです。
こうしてウェブ上で書くのは初めてなのですが・・・
画集のあとがきでもちょっと触れたしね。そろそろ解禁かな。 

ほんとうは言いたかったんだ。 私を、産んでくれた人のこと。

 

夏が本格的に始まろうというこの日の夜明け、突然逝ってしまった母。
原因は、よく分からず。死因は心不全。
ちょっと調子が悪いからと、母が自分の足で病院に行ったのはまさに前の晩で、
肝炎を起こしかけているとのことでそのまま軽く入院することになったのでした。
私に言いたい事があるから、仕事から帰って来たら面会に来てくれという伝言を、
ばーちゃんから受け取ったのですが、
あいにく私が仕事から帰って来たのは面会時間を既に過ぎた頃で、
私は、「明日でいいや」と、病院には行かなかったのです。
まさかそのまま、言葉を交わすことが出来なくなるなんて、思いもよりませんでしたから。
あの日、夜遅くても会いに行ってあげれば良かった・・・・ 

悪夢の様に繰り返しては消えない、命が消える瞬間の顔。

母親はとても強く、とんでもなく頭の良い人で、所謂キャリアウーマンてやつでした。
と言ってもうちは自営業なので、昼間は家で仕事をし、
夕方になると、毎日のように市や県の会議や寄り合いに出かけていました。
いろんな役員を掛け持ちしていて、いつも忙しくピリピリとしていて、
なので、私が抱いている母親のイメージと言えば、台所に立つ姿ではなく、
スーツを着込んで髪をきちんとカールした、”大人の女”といった感じ。
手料理を作ってもらった記憶もあまりありません。

たまに家にいる日は話し相手になってくれて優しい人でしたが、
大変気性が激しくて、気に入らない事は一切受け付けないという、頑固一徹な面がありました。
母親に何か意見をするということは、家族の誰もしたことがなかったのではないでしょうか。
当然私も、俗に言う”親のレール上を歩む”生活で、
反抗するという術すら知らずに生きていました。
大学頃、遅い自我の芽生えのようなものがあり、
自分の未来に何も無いことを突然として知って、
己の無知と経験不足を全て母親のせいにし始め、
不健全な親子関係をどうにかしたいと足掻きました。
例によって、母は私の言う事をまるで受け入れる様子などなく、
それどころか私の幼稚さを父親の血を継いでいるせいだとも言いました。
父親は、存在しているけれども、機能していないもの。
家に住んでいるただの男。 それ以上の意識や愛着を持つには、あまりに希薄な関係でした。
なのに、私が悪い事をした(母親の命令を守らなかった)時は必ず、
父親の存在を持ち出してくるのです。
私はそれがたまらなく嫌でした。
母の人形として生きるよりも、ずっと。

大学卒業後は。さらに気まずい親子関係が続きました。
ぶつかり合っていればいつか分かってもらえる日が来ると信じて、
わざとひどい事を言ったりもして。
そして結局、捻じ曲がった関係を軌道修正できないまま、
むしろ拗れた状態のど真ん中で私は放り出され、
解放されるどころか、今度は母親の幽霊と付き合うことになってしまったのです。
眠っている間も、外出中も、いつでもどこかで私を見ている・・・ 
怒りと混乱と閉鎖感で、気が狂いそうでした。
私の足元には、重い枷。
鍵はそのまま彼女が持って行ってしまった。

母親にしてみれば、確かに私はあぶなっかしかったのでしょう。
地に足を着かせるために、見えない鎖で繋ぐことが、彼女なりの愛情だったのかもしれません。
実際、この留金が完全に外れた時、私は本当に歩いていくことが出来るのか・・・
急に身体が軽くなって、ふわふわとどこかへ飛んで行ってしまうのではないかと思います。

環境の変化や、時がもたらすやさしい希釈作用によって、
母親の幽霊の陰は、今では大分薄くなってきています。
それは少なからず自分の成長を意味することなのかも知れないけれど、
この両足の枷を自ら外そうという努力は、なぜか敢えてしたくないとも思うのです。
出来ることならば、母自身の手から鍵を受け取って、彼女の目の前で堂々と外したかった。
もはや叶うことのない夢だけれど。

もう一度、ちゃんと話をして、正しい答えが欲しかった。
あの最後の夜、私に言いたかった何かを、きちんと聞いてあげたかった。
そして、ただのかわいい母と娘に戻って、仲良くお茶とかしたかった。


私はもう、怒ってないよ。

ただ、悔しいだけ。

いろんなことを、やり直したいだけ。

おかあさんも、そう思ってくれてたら、嬉しいなあ。

 

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たまさん、こんにちは。

たまさんのおかあさんへの気持ち読ませて頂きました。
たまさんの、おかあさんに対する悲しみ、懺悔、後悔、愛情、色々な感情が凄く伝わってきて、切なくて
胸が苦しくなりました。

私のイトコも丁度十年前の夏に小児癌で亡くなりました。
最後にあって、「またね」といって別れてから
たった一週間後の事でした。
何もできなかった自分が悔しくて、情けなくて。。。
私の足にも枷がついたままです。たまさんと同じで私の中からイトコが消えることはありません。

私も一言話せたらと何度も思います。

でも、たまさんのお母様はたまさんのこと愛していたんじゃないかなぁって、もの凄く勝手ですが思いました。たまさんのことを思ってなかったらきっと喧嘩すらしてくれないんじゃないかなぁって...。
私が実際そういう思いをしたもので;
そんな時のヒトの目は本当に恐ろしいです。。。

何か長々とごめんなさい;;
個展も折角DMまでいただいたのに行けなくて凄く残念です。
生たまさんにお会いしたかった...。
モナカ 2008/07/24(Thu)14:39:40 編集
モナカさんへ
この記事、UPしようかどうか相当迷ったんですけど、長年のいろいろな思いを一度放ってみても良いかなあと思って。。。
誰に向ける訳でもない文章なのですが、あまり楽しい内容でもないので、読んだ方がしんどくなったりしたらと、今更不安になってます。

突然の人の死は、周りの人間の人生を簡単に変えてしまうくらい、強烈な力を持っていますよね。
時間が解決してくれないことや、月日が経つにつれて逆に苦しくなる事もあるんじゃないかなと思います。
もう忘れたいなあと願う時は多々ありましたが、
怒りやら後悔やらのが大きくて、忘れてなるものかと逆に意地になって、解決出来ない過去の問題を掘り返しては、どうにか自分の中で消化しようとしています。

モナカさんのイトコさん、きっととてもお若かったんでしょうね。
別れのために用意された時間がたくさんあれば悲しみが少ないなんて無いとは思いますが、
やっぱり、「もう一度ちゃんと」と願ってしまいますよね。

確かに、私は母に愛されていなかったのでは決してないです。
ただ母のとても強い執着心と依存心が、それを分かりづらくさせていただけなのだと思います。
喧嘩というか、結局言い分は全部受け流されていて、こっちばかり熱くなっていただけで、不完全燃焼なのがまた良くないのかも;;

モナカさんは、今ではお母様とはうまくいっているのでしょうか?
何も知らない私が言うのも下世話ですが、
そうであって欲しいなあと思います。

長くなっちゃった;;
読んで下さってうれしかったです。
ありがとございます(^^)
たま 2008/07/24(Thu)15:28:57 編集
どうもです
たまさん、こんにちは&個展お疲れ様です。
携帯の方にメールもらってたのに、なかなか返信できなくてごめんなさい。


この記事読んで、何だか漠然と嬉しかったです。
私が受け止めた時より、痛みの濃度が薄れてるから。
文章から滲む感情から、どす黒い痛みの要素が少なくなってる気がしたから。

必要なのは、忘れることより、乗り越えること。
すべてを忘れる力じゃなくて、すべてを愛して笑える力が欲しい。よね。
たまさんはそれが出来る人だと思うから・・・・・・

たかが20年の人生、家庭環境に恵まれた私が勝手に踏み外した道は、もう修正不可能。
堕ちた場所から歩き出すしかないってことはわかってるんですけどね。
過去にすがり付いて立ち止まったまま生きることは、未来を自分の足で歩き出すことより楽だから、
今でもこうして不幸自慢しながら甘んじて生きてます。
幾重にも絡まった枷を象徴するものが、私の左足に張り付いた負の刻印。
思い出すことに苦痛を伴うまでの過去はもう少ないけど、
まだすべての過去まで愛せない。


個展、行きたかったです。
いっぱい、話したいことあったのにな。
今度Coccoライブツアー(来年あたり来るかな?)ある時は一緒にファイナル行きましょう!(笑)

記事にあんまり関係ない投稿ですいません(苦笑)
また何かあったらメールしまーす。
慧南 URL 2008/07/24(Thu)23:13:50 編集
お返事ありがとうございます。
たまさんこんにちは^^

お返事ありがとうございます!!
私自身も、書き込ませていただくかかなり迷った
内容だったので、たまさんに読んでいただけた
だけでも嬉しいです。

私のイトコは当時まだ小学生で、亡くなったと
聞いた時には本当に信じられなくて、ぶっちゃけ
十年たった今でも頭の中で整理がつかないというか...。あの時で時間が止まってしまったようです。私自身は成長して歳を重ねていくのにあの子はあの姿のままで...何だかそれが凄く虚しくて。

私もたまさんと一緒というか、似ているなぁと思うところがありまして、今の母は全然違うのですが、小さい頃は私が体が弱かったこともありまして私の母もかなり厳しく、神経質なところがありました。
自分の病気のせいで母を困らせてしまっていると思った私は罪悪感で一杯で、母に認めてもらいたくて、困らせたくなくて必死で、気がついたらもう母には逆らう気力も無くなっていました。

最近は自我といいますか、自分の意思をぶつけて大分理解してもらえるようになって今ではわだかまりも少なくなってきています。たまさんの問い、私凄く嬉しかったです。たまさん、ありがとう。

私もまた長くなっちゃった;;

亡くなった人と話すことはもうできないかもしれないけれど、たまさんのお母様がたまさんを見守ってくれていますように...。
モナカ 2008/07/28(Mon)15:15:52 編集
慧南さんへ
ぐあーー レス激遅ですいません!!!!
コメントありがとう・・・(;へ:)

”すべてを愛して笑える力”
欲しいね~!
確かに、今では底なし沼的な状況からは這い出せてるし、苦しみも薄れてきてはいるような気がします。
忙しいとか、そんなんで忘れてるんかもしれないけど・・・(それは不本意)
ここ最近は特に自分の事でいっぱいいっぱいで、
目の前の問題以外のことに悩んでる余地が無くて、ほったらかしにしてた感じ。
でもひょんな時に実家からいざこざのTELがきたりして、急に引き戻されて、「今そんなどころじゃないのよー!」って怒っては自己嫌悪。。。
一時停止になってるだけで、前進はほとんどしてないのが悲しいなあ。
お盆に帰るのが実はちょっと怖い;;

今年の夏はLIVEなくて寂しいね(´-`)
新曲も出ないしなあ。
なんかMSE辞めたらしいよね。。。
それで次の活動出来ずにいるのかな?
ファイナル!武道館!!
高速バスにも慣れた(?)ことだし、
ほんとに次こそは一緒に行こう!!!
たま 2008/07/30(Wed)13:34:26 編集
モナカさんへ
お返事遅くなりました(汗)すいません~

死んだ人って、見事な程昔のままの姿なんですよね・・・当たり前ですが(*^_^*;)
私の母は若くして私を産んだので、
小さい頃一緒に写ってる写真とか、既に今の私の方が年上になっちゃってて、
見ていて切ないです。

私や弟は、昔の記憶よりこれからの出来事の方が分厚くなっていくくらいの年月を生きていくんだろうけれど、
年老いてから突然一人娘においていかれた ばーちゃんじーちゃんは、その衝撃を上塗り出来るだけの気力も時間も残されていなくて、
一緒だった時間を思い出して悲嘆にくれながら、日々をやり過ごすしかないという感じで、
本当に哀れです。
私は、実家に漂うその波長に耐え切れなくて、家を出てきたようなもんなのですが・・・
無責任な話ですよね;;

モナカさんとお母さん、和解への道を進んでいるのですね★
昔のことを帳消しに出来るまでには時間かかるかもしれないけれど、思いやりを持って本音を言いながら、素敵な親子関係を築いていけたら良いですよね(^^)

たま 2008/07/30(Wed)13:52:55 編集
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少女主義的水彩画家
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★銀座ヴァニラ画廊にて個展中v
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